NHK教育テレビ1966年~「なにしてあそぼう」1970年~「できるかな」で長く親しまれていたお馴染みノッポさんこと高見ノッポさんが心不全のため88歳でお亡くなりになられました。
ノッポさんといえば、番組で言葉を一切、しゃべらずもくもくと工作をしていたのがとても印象的でした。
なぜ、ノッポさんは番組中、しゃべらなかったのでしょうか?
今回は、その理由について調査し、まとめてみたいと思います。
ノッポさんがしゃべらない理由

子供を工作の作り方に集中させるため

子供は個人差がありますが、集中力がないためにとにかく作り方を伝えたかったと考えられます。
子供の想像力を豊かにさせるため

大人が子供に対し、物事を教える時にこれはこうで、「こうすればこうなるでしょ」という教え方をしてしまうと、子供はそのまま「これはこうだからこう」という固定観念ができあがり、それ以上のことは考えなくなってしまいます。
子供は大人より想像力が豊かなのでそれを潰すのはもったいないと思ったのかもしれません。
ノッポさんは口下手だった?
実はノッポさんは耳が聞こえず、言葉が発せられないという噂もありましたが、ノッポさんは「できるかな」の最終回でお礼の言葉を伝えています。


そうなると、もしかしてノッポさんは口下手だったのかも。
調査によると、ノッポさんの話し方は堅く、声も渋く落ち着いていて子供番組むきではとは思えないという投稿もありました。
しゃべらない設定だった
最初からしゃべらない設定でした。1967年からノッポさんを始めて、当初は「なにしてあそぼう」という番組名で、1970年から「できるかな」になったのですが、1990年まで約24年間、番組で一度もしゃべらなかった。一度もピンマイクをつけませんでした。
asahi.com:「しゃべるノッポさんは落語流」 高見のっぽ – ラクゴロク – 文化芸能 (archive.org)より出典
よくボクの動きをパントマイムだという人がいるのですが、ボクはパントマイムをやっているつもりはありませんでした。例えばサイレント映画はすべてパントマイムだったかというと違うでしょ。ボクの場合、どちらかというと親父に連れられて観た落語の所作に近い感覚だったと思うんです。
調査したところ、ノッポさんのお父さんは芸能活動にてチャーリー・チャップリンのものまねを得意とした芸風ということが影響だったとか。
ノッポさんがしゃべらなかった理由は最初の設定がしゃべらない設定で、最後までしゃべらないという設定だったとありました。

「あー、喋っちゃった。喋んないのやだっ」と言い、「(『できるかな』の)最終回で喋った時、謝るのもあれだから『あーあ、喋っちゃった』って。おしゃべりでおしゃべりで、今日も本当は初っ端から喋りたかった」
ノッポさん唯一しゃべった「できるかな」最終回動画
こちらの動画でのノッポさんは声質は少し渋めですが、口下手でもなく、子供の教育番組向きではないということも無いように思えます。
最終回にしゃべったことに対し、ノッポさんは次のように語られています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
NHK教育テレビ1966年~「なにしてあそぼう」1970年~「できるかな」で長く親しまれていたお馴染みノッポさんこと高見ノッポさんが心不全のため88歳でお亡くなりになられました。
ノッポさんといえば、番組で言葉を一切、しゃべらずもくもくと工作をしていたのがとても印象的で、今回はその理由について調査し、まとめてみました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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